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大堤の人柱

胆沢扇状地の伝説(その1)

大堤の人柱

浪華の武士盛遠は、町人の娘と恋におち、娘は自害する。盛遠は武士を捨て、名を文覚と改め、みちのくに逃れてきて農業を始める。文覚は堤の築造に情熱を傾けるが、堤は二度も決壊し、地域の人びとが人柱を主張するものの、文覚は、残酷なことをしなくとも堤はできると言って対立する。しかし、三度目の堤も決壊する。
やがてまた、大堤の工事が始まり、人柱のことで文覚が悩んでいると、彼の前に人柱を申し出てきた娘が現れる。娘は浪華の商人の娘であったが、育ての母が世を去る時、わけあって娘の両親がみちのくに逃れていることを知り、訪ねて来てみたら、実の父母も亡くなっていた。人柱の話を聞いて、村人のためにと人柱になる。その娘は、文覚が結ばれなかった昔の恋人そっくりであった。
大堤は数百年経っても決壊せず、文覚は堤の上に碑を建てて、娘を供養したというのである。
 
*人柱・・・昔、橋や堤防などの困難な工事で、いけにえとして人を水底または地中に埋めたこと。