水野を拓く

水を拓く

茂井羅堰

茂井羅堰の歴史は古く、元亀年間(1570~72)に北郷茂井羅という女性が用水を開さくしたという言い伝えがありますがはっきりしていません。ただ、ここには水田が古くからあったようです。
 

寿安堰

後藤寿安像
元和4年(1618)に伊達政宗の家臣後藤寿安が着工しましたが、後藤寿安はキリシタンであったため追放となり事業は一時中断してしまいました。その後古城村の千田左馬と前沢村の遠藤大学が引き継いで寛永8年(1631)に完成しました。堰の名寿安はラテン語で johannes (ヨハネ)、日本で唯一のクリスチャンネームの用水堰です。

穴山用水堰

穴山用水堰
穴山用水堰は茂井羅堰、寿安堰の上流に位置し胆沢川の断崖に取水口を設け前沢の白鳥に導く堰です。延長18,084mのうち2,759mは穴堰(ずい道)で幅は1.2m~3m。壁面には「たがね」の痕路や菜種油で明かりをとった窪みがついています。一説には約770年前、藤原秀衡の家臣照井三郎により開さくされたものといわれています。

葦名堰

葦名堰
元和4年(1618)衣川荘の領主であった葦名氏により開さくされました。延長24,140m、その内、穴堰は15箇所、5,530mもあります。穴堰と平堰(開水路)を交互に配置しながら狭間(狭いところ)、瀧、井戸(川、谷の底を横断するサイフォン)樋などが造られていて当時の農業土木の技術が結集された水路です。