水を配る

水を配る

渇水と水争い

水田のかんばつ (平成6年)
胆沢川の水は日照りが続くと極端に減水し、深刻な水不足のため、乾いた水田には無数の亀裂が生じ、枯死寸前の稲も目立ちます。一滴の水も無駄にしないよう交代で用水を使う「番水(ばんすい)」を強化しますが、上流の水門などを開けて水を引いても、下流の水田に用水が到達する頃には上流の水田に水を引かれてしまい、また引き返す、「馳せ返り」という言葉のように幾度となくこうしたことの繰り返しが行われました。水不足の解消が限界に達したとき、各地では「雨乞い」の儀式が行われました。しかし、枯れかかった稲を蘇らせるには程遠いものでした。

ダムと合口

石淵ダム (現在は胆沢ダムの湖底にねむる)
絶対的な水不足の解消と、頻発する水害からの軽減を図るため、我が国初のロックヒルダム「石淵ダム」が昭和28年に築造され、約1,200万tのかんがい用水が確保されました。昭和32年には茂井羅堰と寿安堰の取水口を統合し、国営胆沢川農業水利事業によって、当時としては画期的な構造を誇る円筒分水工が完成しました。この石淵ダムと円筒分水工の完成により茂井羅堰がかりの人々と寿安がかりの人々の水争いは解消しました。しかし、開田の進展、営農形態の変化により広大な胆沢平野を潤すには、なお用水不足でありました。現在は、石淵ダムの10倍以上の容量をもつ胆沢ダムが完成し、これに呼応して国営胆沢平野農業水利事業により平成8年に一回り大きくなった円筒分水工の機能が充分に発揮されています。

農業用水の安定供給

胆沢ダム
平成26年、石淵ダムに比べ約10倍の貯水量を誇る胆沢ダムの完成により、広大な胆沢平野の恒久的用水不足に終止符が打たれ、農業用水の安定供給が図られています。