水を拓き、土を耕す

土を拓き、土を耕す

胆沢開拓

胆沢平野の南端、胆沢扇状地の最も高い段丘部分の土地は、戦後の開拓によって、まず畑が拓かれましたが、畑の生産性は低く不安定な農業経営に悩まされました。しかし、石淵ダムの完成と昭和31年から7ヶ年にわたる国営胆沢開拓建設事業を経て910haの水田が生み出され、同時に開墾された822haの畑と合わせて1,732haの農地ができ入植者の生活は飛躍的に安定しました。胆沢平野の最後の水田は用水開発の歴史始まって以来1,500年以上をかけ昭和38年完結の時を迎えました。

圃場整備

水田は営農技術の進歩や農業経営の変化と共に絶えず改良、進化を続けてきました。稲を育てるにも、かつては人の手だけを用いましたが牛や馬の力を借りるようになり、ついには機械が牛や馬に取って代わるようになりました。労働手段の発達につれて水田の構造も大いに変わってきました。